O型に見えないって言われる

動物占いがペガサスのせいかO型に見られない。
死ぬまでに多くの変人に会いたい。

忘れ物競争

疲れた、コーヒーでも飲もう。カウンターでコーヒーを注文してお金を払い、カップを手に席へと向かう。…? 視界に入る、自動ドアに映った自分。何か変だ。そう感じた瞬間に思い出した。カメラと資料忘れた!

ちょっと忘れ物をしました、また取りに来ます! 焦る私を前に、きょとんとするレジのお兄さん。何が何だかさっぱり分からないであろうまま彼が頷いたのを、“了解”という返事に変換。カップを置くと駅に向かって走り出した。コーヒーショップに向かう前にATMに立ち寄り、そこに荷物を置いたのだった。まだあるだろうか。あってくれ!
うまい具合にATMには先客はいない。中に入って確認。ない。親切な人が届けてくれていればいいけど。階段を上がり、文字通り交番へ駆け込んだ。「すいません! わ…忘れ物届いてないですか」 息切れしている私とは裏腹に、警官が悠長に奥のテーブルから顔を上げる。カメラなんですけど。 ゼイゼイする私。届いてないですねぇ。 若者が答える。忘れ物センターにあるかもしれないね。隣にいた老警官が言う。忘れ物センター…。さらに階段を上り、しかもターミナルの端に行かねばならないのか。息を切らしたまま愕然とする私に、若者の一言。「まあ一旦落ち着いて」 おまえ…
今度は忘れ物センターに向かって走る。これがまた遠く、一体何キロ離れているのだろう。帰宅客でごった返す駅をダッシュする私は恐らくいい迷惑だ。半ば叩きつけるようにしてタッチ式の自動ドアを開けると、目の前にいた無表情なおじさんに話し掛ける。「す…すいません、忘れ物…届いてないですか…」 カメラとかなんですけど。2階分の階段ダッシュに加え、横長の構内を走ったせいでひどい息切れだ。言葉をうまく繋げることさえままならない。オッサンは表情を動かさずに私を一瞥し、「ないですね」と言った。このオッサンはもう少し人間味を表に出すことができないのだろうか。私の偏見だが、役所然り国営企業的な組織は得てして態度が傲慢だ。少し改めたらどうなのだと言いたい。そんな私の心の声は多分息切れに紛れて聞こえない。受話器を取りどこかに電話をかけ始めるオッサンを前に息を整えていると、彼の発した単語に思わず顔を上げる。受話器を持ったまま私を見るオッサン。「そう、カメラ。あります?」 電話の相手に向けられたオッサンの台詞に大きく頷く。よかった、あった。これでひと安心だ。オッサンは受話器を置き私に言った。「駅長室にあるそうですよ」 またもや愕然とする私。駅長室はATMの横である。
ありがとうございます、と忘れ物センターを飛び出した。カメラに振り回されたこの時間ももうすぐ終わりだと思うとつい足が早まる。合わせて早まる私の鼓動。先程上った階段を今度は駆け降り、駅長室へと走った。オープンな入口の少し奥にカウンターが構えられていたが、もはやそこに近寄る体力すらない。敷居を跨ぐことすらせずにカウンターの向こうへと掛ける声は思いの外弱々しい。すみません…カメラ…。 あー、ごめんね。たった今忘れ物センターに持って行っちゃったよ。入れ違いだね。 もう只管呆けるしかない。呆然の極み。また2階分の階段+ターミナル端から端への大移動だ。私は何だ、砂漠のラクダか。
とにもかくにもカメラはすぐそこだ。すぐそこなのになかなか辿り着けないこのもどかしさ。まるで人生の縮図のようである。ゴールは近いのに、次から次へと流れるように現れる障害。カメラを追いかけ始めて20分、ようやくコーヒーにありついた時には尋常ではないくらいに疲労困憊していた。今日1日で今年1年分くらいは走ったはずなので、もういい。
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屋上一歩手前

私の好きな仕事相手の高橋さん(仮名)。ひょろっとしていて会話のトーンが楽な新婚さんだ。最近は一緒に仕事をすることがあまりなくてさみしい。私以外の社員は彼と組んだりしているという事実がまた切なさを倍増させる。が、この日は久しぶりに一緒になった。

一仕事終えると店の中を通り抜け、どこかで一服して解散の流れ。このへん喫煙所ってありましたっけ? 隣にコンビニがあったから、そことか。 外かぁ。 ぶつぶつ言いながら店を出て、駐車場に向かって歩き始めた。「あった」 たった今通り過ぎたばかりのとあるビル。その中にずんずん入っていく彼を追いかけると、奥のエレベーターの前に佇むスタンド灰皿。「外からよく見えたね」 心底感心した私が言うと、高橋さんは振り向かずに「まあね」と言った。しかし灰皿をよく見ると貼り紙がしてあるではないか。“当ビルは禁煙です” なんだ、吸う場所ではなく火消し場か。屋上に行ってみましょう。 高橋さんの言葉に、エレベーターへと乗り込む私達。
屋上へと続くドアの前にまたしてもスタンド灰皿登場。椅子もある、と感嘆の声を挙げる彼。さすが、と感心する私。しばしのたばこタイムが始まった。
飲み物を片手に、煙を吐き出す彼の表情は明るくない。ため息をついたタイミングで私から切り出した。「疲れてますね」 浮かない顔で高橋さんが口を開く。「毎日2時間くらいしか寝れてないしさぁ、今日遅刻しちゃったんだよ。有り得ない」 彼は毎日片道1時間半の距離を通勤しているにも関わらず、今日は街中から40分ほど離れている場所で仕事だった。しかも早朝。他のスタッフは街中近辺に住んでいるのに、何故彼? 「前に話したじゃん? ○○さんが全然気を使ったりしないで俺に振るんだもの」 以下しばらくこぼれる愚痴。彼はどうやらその○○さんのことが苦手なようで、過去にも少々こぼされたことがある。かいつまみながらざっくりと不満を述べ終わると彼は言った。「絶対他の人に言わないでね」 言わないよ、と言った後にふと思う。私も何か情報提供するか。
2歳上、社歴的に1つ上の先輩社員が近々退職する。どこまでの人が知っているか分からないが、と前置きをした上で伝えると案の定驚く高橋さん。本人が言うまで聞かなかったことにしてね。 もちろん。でもね、実は俺らのとこも、○○さんが3月に辞めるんだよ。 えぇー。 まさかの展開。お互いにお互いの情報はオフレコなので心にとどめておくけれど、それにしても結構大変な話だ。「もう1本吸っていい?」と高橋さんが尋ねる。休憩2本目。

燻る煙。すっかりぬるくなったお茶。目の前の無機質なスタンド灰皿。多忙の中の一瞬の休息、昼下がり。
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パン埋没month

毎日毎日パンに埋もれた生活に嫌気が差した。ラーメンが食べたい。それか肉。サラダとか。ごはんとふりかけでもいいから!

やっぱり人間は単調な日々に飽きる生き物なのだ。マンネリは良くない。というか、私はあまりパン好きではないから尚更だ。好きなものまみれになるのもそれはそれで辛そうだが、さほど好きでもないものに囲まれるのは拷問に近い。苦手ではあるが嫌いじゃないだけマシだ、と自分に言い聞かせる。早くこの状態から抜け出したい。
パン派とごはん派に分かれる我が家。「もうパン見たくない」 私の一言に妹が被せる。「今週末パン屋巡りするよ」 …。しばしの沈黙の後、彼女の口から飛び出した言葉に思わず耳が動く。「つくばだけど」

パンはもういらないが友達に会いたい。パン屋巡りをしている間、私は談笑にうつつを抜かしていれば良いのでは? だがうまいこと友達の体は空いているだろうか。加えて私は仕事をほったらかして大丈夫なのか。恐らく約1年振りの再会。迷っている私はまだ連絡すらできていない。うーむ。
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想いの道

パソコンを立ち上げるとスカイプを呼び出し、ログイン。待ち望んだこの時間のために今日は相方との電話は中止だ。“23時半くらいでいい?” “いいよ” もうそろそろかしら。わくわくしていると携帯に電話がかかってきた。あれ? スカイプは?「ごめん、スカイプ中止で」 懐かしい声。ちょっとハスキーな低音ボイス。私はどれほどこの声を聴きたいと願っただろう。
「ひさしぶりだねぇ」 「ほんとに」 会いたいときに会って、何もなくても会って、コーヒーとたばこを傍らに他愛もない話をしていた昨年までの日々。今彼女と対面することができたなら、私はきっと歓声を上げて走り寄り“腕組んでいい?”と聞いていたはずだ。3年前、高々2ヵ月ぶりに会った時でさえそうだったのだ。今なら襲いかかるかもしれない。それを伝えると友達も言った。「私もそうなったかもしれない」 ああもう!

午前中、なんとなく携帯のメールを見てふと疑問に思った。お正月にあけおめメールを何通か受け取っていたが、果たして返信したのだっけ? 送信メールを開いてみたが、生憎最近のものに押し出されてすべて消えていた。もしや返していないのでは? これだから友達が減っていくのだ。当時は仲良くしていたのに、今では必要に迫られた時のメールのやり取りくらいしかない。ところがそんな場面はほぼ皆無なので1年に1回、年始の挨拶が私たちの付き合いのすべてになりつつある。強迫観念に囚われた私は慌てて文章を作り始めた。“もしやあけおめメールに返事をしていないのでは、と思いまして、今更ながら失礼いたします。もう1月終わるけどあけましておめでとう” 一斉送信。少しして1人から反応があった。“どうしたの?(笑) ちゃんともらってたよ〜” なんだ、送っていたのか。また若年性健忘症だったのだな。
また1人から届くメール。“メール来た時、結婚報告だったらどうしようかと思いながら開いたよ(笑)。ついにナツメが嫁かと…” ついに嫁! 私がどのように思われているかがひと目で分かるフレーズだ。

友達との距離も付き合い方もそれぞれ。少ない友達を大事にしていかねば。
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予期せぬ遭遇

夏に漬けた自家製梅酒を解禁、家にいつでもお酒があるという満足感。実家に戻ってきてからお酒を嗜む頻度は下がったが、たまに無性に飲みたくなる。ただこの梅酒、どうにもアルコールが強い気がする。先日はへべれけになった。ひとりで。

仕事で立ち寄った店でついでに1杯引っ掛け、そろそろ帰ろうと歩き始めた。イヤホンを両耳に、早足で歓楽街を通り抜ける。花柄のスカート。目の前を歩く女の服に記憶が蘇る。こんなスカート、妹も持ってたなぁ。バーゲンで買ったって言っていたが、同じものを買う人がやはりいるのだな。そう思って追い抜くと、名前を呼ばれた。「ナツメちゃん」 振り返るとそこには妹の顔。…なるほどね。
立ち止まった私たちの後ろからぞろぞろと出てくる見知らぬ男達。そういえば今日は会社の人達と飲み会だと聞いたことを思い出す。「何? 知り合い?」 ひとりの問いに妹が答える。「姉です」 「あっ、ナツメさん?」 「あなたが」 「お話はかねがね」 一体こいつはどんな話をしているんだ。「ひとりで何してたの?」 「いや、仕事ついでにひとりで飲んで、今から帰ろうかと」 私の答えに「さすがー」「おおー」と歓声。ひとりで飲んだって別にいいだろ。一緒に飲みましょうよと誘われ、同行することにした。

知らない人たちと飲むのは結構好きだ。普段妹の話に出てくるお陰で名前を覚えてしまった人たちの顔を実際に見ることができる機会も。こいつがあの男か…と思いながら飲んだくれて終了。翌日の夜、妹に言われた。「なんか○○君が“お姉さんとまた飲みたい”って言ってきたから、“やめたほうがいいよ”って断っておいた」 そうね、やめといたほうがいいよ。
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理由←→言い訳

最寄りは始発駅だ。地下鉄に乗り込むと端の席を陣取る。すぐに眠くなった。
心地よい温度の座席。人が流れ込む、流れ出る車内。その雰囲気を感じ取りながら、私は私の世界を満喫する。地下鉄に向かう途中ですでに瞼が重くなるほどの眠気を感じていた私はもはや臨界点突破。ハッと顔を上げたところで飛び込んできた駅名は、降車駅を2つほど過ぎていた。
やべえ! 膝の上の鞄を掴んで飛び降りた。あと5分でここから会社まで行って、さらにタイムカードを切らなければならない。反対側のホームの電光掲示板が2分ほどで次の地下鉄が来ることを示しているのを確認する。3分か、走れば間に合う…か?

改札を抜け、エスカレーターを駆け上がる。さながら現代のメロスである。横断歩道を走って階段をダッシュ、社員証でドアを開けると目の前に広がった朝礼の風景。メロスは絶望した。肩が上下するほどのこの息切れ、どうしてくれようか。

朝礼が終わってタイムカードを切った。場所的にすぐには切れないのだ。落胆しきった私が心を落ち着けようと喫煙所に向かうと、そこで出くわす上司・蛇男。失敗だ。
「おまえ遅れたな」 「ええ、まあ…」 理由と言い訳は紙一重。聴く者の気持ち次第でどちらにもなり得る。一応「地下鉄の駅を乗り過ごしまして」と言ってみたら、蛇男はすごい顔で私を見た。言いたい放題がある程度許容される立ち位置を築いてきた私の窮地だ。明らかなキャラ負け。我ながら実にバカバカしい。


その日数人に事情もとい言い訳をした。やはり残業はいかんな。それに家が遠すぎる。
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街中3方向

例によって私は急いでいた。迫りくる時間に気持ちが急いて、自然と繰り出される早足。途中何度となく確認した時計がなんとか3分のカウントを残してくれたことで、次第に歩くペースが落ちていく。目的地まで30秒、これでセーフだ。
気を緩ませて前方に目をやると、向かいからどこかで見た人型がこちらにやってくる。どちらともなく近付くと相手が言った。「ナツメさんじゃないですか。あけましておめでとうございます」 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」 街のど真ん中で深々と頭を下げるふたりの横を、何事かという顔で人が通っていく。よく一緒に仕事をしている人だった。
「うちの仕事でここに?」 荷物を地面に置いて彼が言う。「いえ、また別の仕事です。ナツメさんはこれからですか?それとも終わって戻るの?」 「いや、今からですよー」 ここでこうしている間に3分くらい経つであろう。ちょうどいい感じだ。双方が寒さを感じながらの立ち話を切り上げるのは難しくない。どちらかが“寒い”という台詞を吐きさえすれば終了だ。ところがそうは問屋が卸さないのが夏である。「寒いから早く建物の中に入りたい」という願望は暗黙の了解だが、「暑いから早く建物に入りたい」という願望を受け入れてくれるとは限らないのだ。これ一体何故。湿気で蒸し料理にでもなりたいのか、それとも太陽光線と路面の照り返しでオープン焼きになりたいのか。ストップ温暖化。
すると視界の端にまた別の人影が入り込んできた。「おつかれさまです」歩み寄るその人は私の会社の社員。偶然の寄合がここに出来上がる。

セオリーに従い、誰かの「寒い」の一言で分散の意思表示がなされる。またそれぞれ3方向に解散するその様子はまるで万華鏡の中心のようだった。
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めーぐりーめーぐるーよ

街に溢れるイルミネーションの光に、あぁ冬だなぁ、クリスマス近いもんなぁと季節を感じていたら、本当にクリスマスだった。他人事のような実感のなさに我ながらショックだ。サンタに願い事しなかった。しかも今日は明石家サンタではないか。

連れ立って歩くカップル達によって塞がれたショッピングゾーンを早足で歩き抜ける。道の端で抱き合ったまま微動だにしないふたりが視界の隅に写り込む。世も末だ。この人達には落ち着いていちゃつける場所さえないのであろうか。稀に駅ホームやその付近で別れがたそうなカップルを見るが、それは高校生だから許されるのであって、いい歳の男女がすべきことではないのだ。とはいえ“ここでキスのひとつやふたつ始まらないか”と頭を擡げる野次馬根性。しっかりと視界に入れたまま人混みの中を突進する。

「クリスマスだね」 弾んだ声で妹が言う。「彼氏と会うの?」 「ううん、だって平日だし」 妹は遠距離恋愛中だ。だよな。なら何故そんなにわくわくしているのか。そう尋ねると彼女は口を開いた。「ごちそう楽しみだー」 「ご、ごちそう?!」 「ケーキ買うじゃん、でももう1個食べたいなー。買ってこようかな。どこのにする? なんかわくわくしてきた」 ごちそう…。

「あの子わくわくしてたよ。可愛いよね」 「ごちそうって言っても、ケンタッキーとケーキなんだけどね」運転席の母も笑みを浮かべている。「ほんと可愛いやつ」 「もう1個買おうか迷ってた」 クリスマス=食のイベント。各人の思いを乗せて、こうして刻々と時は過ぎていくのだ。
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戦いの痕跡を隠せない女

一仕事終え、和やかな帰り道。「さっきの人、すごい純朴な人でしたねー」 「でもさっきちょろっと聞いたら、なかなか苦労されてるみたいでしたよ」 「そうなんですねぇ。なんかいい意味で中学生みたいな感じ」 「たしかn」 突如として私に迫り来るアスファルト。次の瞬間両手から鞄が離れて飛んでいった。
「……」 突然転んだ私に、呆然さを隠せない相手。えっ、あれ、転んだ? 靴の先が何かに引っ掛かった感覚はあったのだが、あっという間の出来事であった。気がついたら思い切り両膝をアスファルトに擦り、手にしていたはずの鞄はどういうわけか私の前方1メートルにある。これは一体。「えっ、えぇー」 やっと相手も我に返ったらしい。「ちょっと、大丈夫ですか?」 ナツメびっくりしちゃったぁ☆ そんな台詞も吐きたくなるこのシチュエーション、1人じゃなくて本当に良かった。「大丈夫です…」 その言葉に嘘はないが、絶大なダメージではある。
起き上がって引っ掛かった辺りを見たが、見事なまでに何もない。「何に転んだんですか(笑) 石?」 「昔から何もないところで転ぶんです」 自分の足に引っ掛かったりとか、本当に何もない場所で突然転んだりとか、よくあった話だ。大人になってそんなことも徐々に減り転ばなくなってきたものの、相変わらず稀に足に引っ掛かったりしているのでギリギリのラインで生きていると言える。
当然の流血だ。常に絆創膏を持ち歩いて、好感度もUP☆ 転んじゃう私ドジっ子なの☆ と言えてしまえばいっそ楽になれるのだろうか。いい歳して膝に絆創膏なんて恥ずかしいだけだろ! おまえはわんぱく小僧か!

左膝に傷、そして両膝に痣を残して帰社、やがて帰宅。まるで戦地に赴いて負傷した戦士のようである。見よ、この勇姿。生々しい傷跡と共にホームに帰る私にはきっと後光が差していた。帰りを待ちわびていたかわいい娘が私を迎えに玄関に飛び出し、私は彼女を両手で持ち上げて抱っこしたまま、台所から出てきた妻にただいまのキスをしに行くのだ。

それから2日後、今度は階段に躓いて右膝から流血。もはや自分でもフォローのしようがない。
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保温の魔法

やかんを火にかける傍ら、魔法瓶に粉を振り入れる。ピー。ぎょっとして横に目をやると、先程のやかんから直線の湯気が飛び出している。えっもう? ちょっちょ、待って待って! やかんの笛部分を開いて音を止め、同時に火を消す。あの甲高いピー音は私を無意味に焦らせる。怖い。お湯が沸いたよ!と教えてくれる彼は確かに親切で優しくてそして多分イケメンだろうしありがたいのだけれど、なんかもっとこう、“ピヨピヨ”とか“しゅー”とか“ふわふわ”とか、もっといろいろあるじゃん。なぜよりによってあの鋭いピー音なのだ。あの音に恐怖心を抱いている人は私以外にもいるはずだ。特に子供なんて泣き叫びたくなるに違いない。ピー。ぎゃーおかーさーん! あの甲高い鋭さは子供に得も言われぬ恐怖を連れてきて、それ故子供は泣き止まない。それどころか泣くわ泣くわ、やかんと大合唱だ。双者が見事なハーモニーを奏で、辺りは一時騒然、母親はさてやかんが先か子供が先か右往左往し、台所はカオス、祭りと獅子舞と正月が一気にやってきたかのような騒ぎに。あぁもう
心臓にきゅっと刺さりそう。

この魔法瓶は優れものだ。水筒のように蓋部分のカップ化とは異なり、蓋を外したそこに直接口をつけて飲むことができる。注ぐという行為がめんどくさくて2リットルのペットボトルでさえ直飲みする私への親切設計。サーモスの中の人は誠に見上げた奴である。
会社について魔法瓶の蓋を開けて一口。…っ!! 熱っつ! とんでもなく腹が立った。朝に注いだ時と何ら変わらぬであろうその温度に、私の猫舌は耐えられない。理不尽なのは理解しているが、これは熱すぎやしないか。おまえにとっての適温って何度だ。だがしかし朝の今だから仕方ないのだろう。ここはこの保温性を賞賛しておくべきであり、私はもうしばらく待って保温力が少々衰えてから飲めばよい。

そして昼が近付き、私は再び魔法瓶の蓋を開けた。出てくる湯気が熱いのは気のせいか。恐る恐る口をつける。論外であった。舌がざらざらする。先程と変わらない温度、しばらくこいつは放置しよう。そう思いそれから時々チャレンジしたが、一向に温くなる気配を見せない。保温性は次第に低下するのが世の常であろう、なのにこの熱さはなんだ。
一般的に、この保温力は素晴らしいものとされるだろう。だが私は全く冷めない故飲めないのである。最初から温めのお湯を注ぐか、はたまた会社に到着次第蓋を開けて適温まで冷ますか。…その適温をキープできるように研究するか。
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